2014年12月03日

12/2 衆院選公示の件を前振りに、「井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道」

まずは、昨日(12/2)の「第47回衆議院議員総選挙」公示の件

・衆院選は「DR戦争」に突入した(門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」
投票日は12月14日(日)
【本日3日から前日の13日までの間(原則として午前8時30分から午後8時まで)、「期日前投票」も可】

自分が住んでいる神奈川県第16区には、

自民党前職の義家弘介氏民主党前職の後藤祐一氏共産党新人の池田博英氏の3氏が立候補。

ということで、総選挙そのものについての争点等はこちらをご覧いただくとして、
  ↓  ↓  ↓
にほんブログ村 政治へ人気ブログをblogramで分析(Ser.8073・3,604日連続更新)
選挙のたびに問題となる「一票の格差」の件。格差を完全に解消するには「得票数を国会の議決権に反映させる」(選挙で10万票獲得して当選した議員は10万の投票権を持つ。5万票で当選した議員は5万の投票権しか持たない。)しかないと思うんですが…

いずれにせよ、一票を投じないことには何も始まらない。
とにかく、投票はしましょう


と言っておいて、今回のメインのこの本。
井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道
という本文の部分もさることながら、この本で著者が言いたかったのは、

「常識を変えるのは必ずしも英雄や賢人だけではない。強い信念の持ち主によっても常識は変わる。それが歴史だ。」

1871 の St Swithin のジョナス Hanway の傘の通りの店 -
1871 の St Swithin のジョナス Hanway の傘の通りの店 -
雨雨雨ジョナス・ハンウェイと傘雨雨雨

ということで、「今は常識だと思うようなこともその当時は常識でなかったかもしれない」

この視点を持って、歴史を見ることが大切。

あと、「史料主義への挑戦」もね。


本井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道」(角川学芸出版
100年以上も続いた室町幕府はなぜ崩壊し、歴史はなぜ「戦国時代」の到来を許したのか。そして戦国はどう終わったのか。応仁の乱以前と続く乱世を縦断的に俯瞰し、教科書だけでは分からない歴史に斬り込む!
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
鎌倉幕府崩壊、建武の新政、南北朝動乱、そして信長・秀吉・家康の天下統一ー「応仁の乱」以前とそれに続く戦国乱世を縦断的に俯瞰。歴史の因果関係を探り、通史だけでは分からないドラマに斬り込む!室町幕府はなぜ、戦国の到来を許したのか?歴史の因果関係を読み解く、シリーズ第3弾。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 戦国をもたらしたものー足利将軍たちの苦闘
(なぜ戦国になったのか/なぜ南北朝問題は解決できたのか/なぜ三代将軍義満は横死したのか)
第2章 鎌倉幕府崩壊への道ー後醍醐天皇と悪党たち
(なぜ後醍醐天皇の倒幕は成功したのか/なぜ足利尊氏は倒幕に走ったのか)
第3章 南北朝時代をもたらしたものー新政をゆるがす二つの「常識」
(なぜ「建武の新政」は崩壊したのか/なぜ日本では武士が否定され続けるのか/なぜ日本に二人の天皇が出現したのか)
第4章 戦国はどう終わったのかー常識を打ち破った天才信長
(なぜ天下統一は当時の非常識なのか/なぜ信長包囲網は破綻したのか/なぜ楽市楽座は成功したのか/なぜ徳川家康は神になれたのか)

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
井沢元彦(イザワモトヒコ)
1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で、第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【2014年6月発行/2014.9.14読了】

【備忘録】
第1章 戦国をもたらしたものー足利将軍たちの苦闘
・時代は必ずしも多くの人間が望む方向に動くとは限らない
・超一流の芸術家は最悪の政治家:足利義政〜今の和室のルーツを作った。職人や役者の地位向上。今の日本文化は室町時代からのものがほとんど。それをプロデュース
・近代以前はライバルになりそうな一族は、大逆転を防ぐために根絶やしにするのが正しかった
・義政はそれができなかった。政治家は非情でなければいけない
安土桃山時代は本当は安土大坂時代と呼ぶべき(桃山は江戸時代にできた地名)
・応仁の乱の頃までは、実力主義の「朝倉敏景の17箇条」は画期的な家訓
・相続争いに介入した大名統制(大名家に相続争いを起こさせ、自分のお気に入りの方を当主にすえる。)
室町幕府崩壊 将軍義教の野望と挫折
・天皇とは、日本は中国とはまったく別の国であることを示す、いわば誇り高き称号
(日本国王と名乗るのは中国の臣下に入るという国への裏切り行為)
・しかし、貢物を持って臣下に入れば、その数倍の経済的見返りがある
・一昔前までは「親の遺言でそれはダメ」と言うのは、物事を絶対に断りたいときの決まり文句
(しかし、それを真に受けたままでは近代化は無理)
・天皇を気の弱い従兄弟として小さい頃から知っている足利義満にしてみれば、天皇家は決して畏怖の大賞ではなかった
・中国皇帝は結果的に誰でもなれるが、天皇は血筋のものでないとなれない
・歴史的に天皇の権力を奪おうとするものは、天皇家は滅ぼさずに棚上げし、実質的にその権力を代理人の形で奪い取る(藤原摂関政治、幕府政治)
・足利義満が天皇家を乗っ取ろうとしたという書物が残るわけがない。あってもすぐ抹殺されるだろうし(史料実証主義の限界)

第2章 鎌倉幕府崩壊への道ー後醍醐天皇と悪党たち
後醍醐天皇は私利私欲の固まりのような人物(朱子学かぶれ、しかも自分に都合のいい部分のみ)
・鎌倉時代までは分割相続で代が下るにつれ財産が細分化され、弱体化。その反省から、最初は一族の中で一番優秀な者に相続、江戸時代には長男相続の原則が生まれている。「家」が社会の構成単位の時代では国力を低下させないため仕方のないこと。今は「個人」が構成単位の時代だから平等分割でも問題ないが。
・武家政権は基本的には農業政権。後醍醐天皇が倒幕に利用したのは農業以外を基盤に持つ非御家人
(主流:源氏・陸軍・国粋派⇔非主流:平家・海軍・国際派)
・歴史が変わるときには「適材適所」の人間が必ず現れ、その者が目的を達成するとあっさり消えてしまう歴史の不思議(源義経、楠木正成、織田信長)
・楠木正成〜一対一〇〇を有利と考える天才的武略(一対一〇〇ならば敵の大将のクビを取らなければ負けたのと同じ。腐っても鯛が張り子の虎に失墜)

第3章 南北朝時代をもたらしたものー新政をゆるがす二つの「常識」
・中途半端だった「建武の新政」〜関白・将軍廃止後のビジョンなし。天皇が直接統治するなら軍事力の裏付けが必要
・日本が諸外国と違うのは
1.実質的権力者が天皇になろうとしないところ(天皇は神の子孫で、天皇家と血縁関係のないものは天皇になれない)
2.王者(天皇家)は軍事を担当しない(天皇家は出来る限りケガレから離れようとしてきた)
日本国防軍を創設せよ
鎌倉幕府成立の年は、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年ではなく、源頼朝が朝廷に日本全国への守護・地頭の設置を認めさせた(実質的な支配開始の)1185年に最近の歴史教科書では変更されている
・乱世に不向きな「いい人」(足利尊氏ら)〜人を疑うことができない
・昔も今も戦争は始めることより、終わらせるほうが難しい
神皇正統記
・政治家それも近代以前の天下人は「三徳」(勇敢・慈悲深さ・無欲)があってはいけない。慈悲深いと政敵を徹底的に追い詰めることができない
・どんな体制でも不満を持つ人間は出るもの。権威が一つなら不満をなんとか抑えられるが、権威が二つあると、不満派は必ずもう一方の権威を頼り自分を正当化し権力を奪おうと戦いを挑んでくる
・上流で何かをすると、それが下流で何かを起こす。歴史というのは川の流れのようなもの

第4章 戦国はどう終わったのかー常識を打ち破った天才信長
・歴史とは原因と結果の関係(因果関係)で、その繰り返し
・天下統一の考えは非常識〜今でもサラリーマンで社長に本気になろうと思って、そのための努力をしている人はほんの一握り
・不可能を可能にする人物を天才と呼ぶ
・下克上とは身分にとらわれない実力主義
・後世の人間が歴史を見誤るのは、実は「結果的に大成功に終わったこと」〜当時の関係者が最初から諸手を上げて賛成していたわけではない
・自分がバカであった(見通しが誤っていた)証拠を残す人間がいるだろうか?
・裁判が実証主義にこだわるのは冤罪を防ぐためという明確な目的があるが、そういう目的のない歴史学ではもう少し推理推論を活用すべき(しかも当時の人間の常識や状況を考えて)
・征服した地名の改変は織田信長が始めたこと(井の口→岐阜)
・ポイントは兵農分離。兵農兼業の徴兵制では農繁期に戦争はできない。しかし、常備軍は金がかかる。
・天皇を中心とした朝廷も、将軍を中心とした幕府も、その財政基盤は農業。しかも、米
(商工業から税金を得ようとしなかった)
・商工業から利益を得ていたのは寺社勢力
・灯明用のエゴマ油が普及して夜の商売が生まれた
藤沢周平氏の信長ぎらいは誤解から生まれたもの。当時の寺社勢力は武装していた。
逆説の日本史 10
・宗教の争いで始末に悪いのは、自分の信じる宗教が絶対に正しいと思い込み、それを信じない人間を「絶対悪」とするところ
熱狂的野球ファンとかサッカーサポーターもや(^_^;
・英雄の死するや、その生前の良き行いは墓とともに葬られ、悪事のみ千載の後まで語り継がれる
神になろうとしていた信長
・歴史は狂気の沙汰で発展する
日光東照宮で神になった家康
・歴史にifはないでは、歴史の本当の評価はできない


【参考書評等】
<管理人のこれ以外の井沢元彦氏著書の感想文(ブログ過去ログ)>
中国 地球人類の難題(2008年1月4日)
「常識」の日本史(2011年2月19日)
井沢式新ニッポン風土記(2011年2月21日)
井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業 2 天皇論(2012年10月30日)
井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業3 悪人英雄論(2013年8月27日)

<参考書評>
戦乱を終わらせた求心力(覚書)『井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道』(めんどくせぇことばかり)
朱子学が中韓を滅ぼす(《等々力のさんそ》の独り言)
Amazon書評
読書メーター



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posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 06:08 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Tracked: 2014-12-04 09:35
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