決勝は本日午後6時から。
そして、「第96回全国高校野球選手権大会」の都道府県代表も昨日までに49代表中39代表が決まり、今日は東東京、福井、三重、滋賀、愛媛で決勝。30日は神奈川、静岡、大阪、長崎。そして、31日に愛知の代表が決まることになっているようですが、それらの件の詳細はこちらをご覧いただくとして、
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今回はNHKの連続テレビ小説「花子とアン」の原作本の紹介を。

この本を図書館で借りたのが2014年6月30日。
順次読み進めていったんですが、NHK連続テレビ小説「花子とアン」 で7月5日までに放映された分に対応する「第5章 魂の住家」までは細かく読んだものの、それ以降はネタバレになるのでサラリと流し、返却しました。
本エントリーをUPする時点では、その後蓮子のモデルとなった歌人・柳原白蓮(びゃくれん)が社会運動家の宮崎龍介と駆け落ちするころまて進んでいますが…
それはさておき、その7月5日までの放映された分とこの小説との相違点はここで言っちゃってもいいでしょう。
・花子が小さいころ一時期東京に住んでたようですが、ドラマでは触れてなかったようだし
・佐佐木信綱のことはドラマでは触れてなかったようだし
・花子が女学校にいた頃家庭教師をしていた件
・花子が女学校時代に知り合った男子学生とはかなり長い間交際が続いてたようで
・花子が女学校卒業したのちに、一時期甲府で教師をしてはいましたが、尋常小学校ではなく東洋英和の系列校。しかも、英語の教師としてだし…
・村岡さんと最終的に結婚に至るまでは(朝ドラだからTVでは抑えめだったとはいえ)もっとどろどろしたものが…
朝ドラに関して、先にある程度の展開を知りたい方はWikiから推測しては?⇒村岡花子/柳原白蓮
村岡恵理「アンのゆりかご」(新潮文庫)
『赤毛のアン』で知られる名翻訳家、村岡花子の波乱万丈の生涯を、孫娘が描いた心温まる評伝。アンのファン必読!
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
戦争へと向かう不穏な時勢に、翻訳家・村岡花子は、カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と花子の運命的な出会いであった。多くの人に明日への希望がわく物語を届けたいー。その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。情熱に満ちた生涯を孫娘が描く、心温まる評伝。
【目次】(「BOOK」データベースより)
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳すー昭和20年(1945)4月13日、太平洋戦争が終結する4ヵ月前
第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へー明治26〜36年(1893〜1903、誕生〜10歳)
第2章 英米文学との出会いー明治37〜40年(1904〜07、11〜14歳)
第3章 「腹心の友」の導きー明治41〜大正2年(1908〜13、15〜20歳)
第4章 大人も子供も楽しめる本をー大正3〜6年(1914〜17、21〜24歳)
第5章 魂の住家ー大正7〜10年(1918〜21、25〜28歳)
第6章 悲しみを越えてー大正11〜昭和2年(1922〜27、29〜34歳)
第7章 婦人参政権を求めてー昭和3〜13年(1928〜38、35〜45歳)
第8章 戦時に立てた友情の証ー昭和14〜20年(1939〜45、46〜52歳)
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行ー昭和21〜27年(1946〜52、53〜59歳)
第10章 愛おしい人々、そして本ー昭和28〜43年(1953〜68、60〜75歳)
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残るーアン誕生100周年、花子没後40年の平成20年(2008)4月13日
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
村岡恵理(ムラオカエリ)
1967(昭和42)年生れ。虎城大学文芸学部卒業。祖母・村岡花子の著作物や蔵書、資料を、翻訳家の姉・村岡美枝と共に保存し、’91(平成3)年より、その書斎を「赤毛のアン記念館・村岡河子文庫」として、愛読者や研究者に公開している(不定期・予約制)。また『赤毛のアン』の著者、L.M.モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日本とカナダの友好関係促進につとめる。東日本大震災で保護者を亡くした子どもたちの支援を目的とした「赤毛のアン募金」の運営に参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【原書2008年6月刊行・文庫版2011年9月発売/2014.7.5放映分までに対応する部分読了】
【参考書評等】
・Amazon書評
・読書メーター
・てくてく-3-
・読書と映画とガーデニング
・読書日記 嘉壽家堂 アネックス
・村岡花子の生涯「アンのゆりかご」、努力は「曲がり角を曲がれば何かいいことが待っている」の精神で(HOTなおちゃタイム)


