2003年2月から11年間、9N POLOさんお疲れさまでした。次のオーナーさんに大事にしてもらえよ。
当ブログのタイトルの「ポロと旅する〜」はこのPOLOから取っているわけで…
←これのパクリとも…
で、型式「6R」は変わるにせよ、引き続き「POLO」に乗り続けますので、当ブログのタイトルには変更はありません。
ということで、昨日は納車後まずはオートバックスに立ち寄って、前席に純正の上に重ねて使う透明のフロアマット購入。一旦、帰宅してマンションの立体駐車場に入れてから昼食の後、取説一読。
それから、午後のドライブへ。
まずは、セルフのスタンドで給油。小田原厚木道路厚木西IC→平塚PA→大磯IC→西湘バイパス大磯西IC→国府津PA→箱根口IC→湯本富士屋ホテル前→小田原厚木道路大磯PA・IC→県道・R271側道&ノジマ経由帰宅と80キロ弱のドライブ。前の9Nポロも安定感と乗り味の良さと運転のしやすさはあったものの、パワー不足でしたが、今度のBlue GTはパワーは十分。
というか、知らないうちにスピードに乗っているって感じ。取り回しの方は、前の9Nより前の見切りが今ひとつな感はありますが、それも慣れの問題かと。バックの際の警告ブザーが立体駐車場では鳴りっぱなしというのが若干気にはなりますが…
とりあえず、乗った感想はここまでにしまので、さらに詳しいことはこちらをご覧いただくとして、
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(Ser.7466・3302日連続更新)
今回のメインはこの本。
「駆け抜けてきた 我が人生と14台のクルマたち」
自分の場合は、家の車という視点でとらえれば、
・1970年代:日産B110サニーバン(年式不明・父親の仕事クルマ)それ以外にオーナーカーではなかったけど過去に運転したことがあるのは、思い出したのだけでも、
・1970年代後半〜1980年代前半:三菱ギャランバン(年式不明・父親の仕事クルマ)
・1980年代前半:マツダ・ファミリアXG(3ドア・赤・1981年式・家族車)
・1984.11〜1987.8:ホンダ・シビック25R(3ドア・青・1984年式・新古車で購入・初の自分名義のクルマ)
・1987.8〜1990.4:トヨタ・カローラセダン1600GT(白・新車で購入)
・1990.4〜1996.7:ホンダ・アコードセダン2000EXL-i(チャコールM・4WS・新車で購入)
・1996.7〜2003.2:カルタス・クレセントワゴン1500T(シルバーM・新車で購入)
・2003.2〜2014.2:VWポロ5ドア1400(9N)(シルバーM・新車で購入)
・2014.2〜現在に至る:VWポロBlueGT(6R)(ブルーシルクM・新車で購入)
・マツダ・サバンナRX7(大学時代にバイト先の同僚のクルマをバイト先の工場付近のほんの数キロ)
・三菱ギャラン・ラムダ(大学時代の後輩の家のクルマを日光からウチへの帰りで、港北PAから自宅まで)
・カローラを買うときの比較で日産パルサーセダン
・アコードを買うときの比較で日産プレメーラ(初期型)
・カルタスワゴンを買うときの比較でトヨタ・スプリンターカリブ
・レンタカーでは、ブログに言及がないところで、カローラ110(熊本・大分)、ランサーセダン(北海道)、ホンダ・フィット初期型(熊本・高千穂)、日産マーチ(長崎・熊本)
・ブログ記事になっているのが、マツダ・ファミリアセダン(鹿児島/2004年3月)以降、
・メルセデスAクラス初期型(宮崎・鹿児島/2005年3月)
・スズキ・スイフト初期型(熊本・福岡・山口/2006年3月)
・マツダ・デミオ(沖縄/2011年2月)
・(社有車の)日産ノート(2008年3月)
・ホンダ・フィット(2代目)ハイブリッド(熊本/2011年11月)
・試乗記を書いているのが、VWポロ(現行6R)の1400&ブルーモーションになる前の1.2TSIコンフォートライン、そしてup!
徳大寺有恒「駆け抜けてきた 我が人生と14台のクルマたち」(東京書籍)
自動車に生涯を捧げた男と名車たちの物語
これまでに所有した車約90台、体験したクルマはじつに4000台以上に及ぶ、日本を代表する自動車評論家の胸躍る痛快な半生。
クルマと生きるということの魅力とは何か、すべての自動車愛好家に捧ぐ、徳大寺有恒渾身の書き下ろし。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
生涯に所有したクルマ約90台、体験したクルマはじつに4000台以上に及ぶ、日本を代表する自動車評論家の胸躍る痛快な人生。クルマと生きるということの魅力とは何か、すべての自動車愛好者に捧ぐ渾身の書き下ろし。自動車に生涯を捧げた男と名車たちの物語。
【目次】(「BOOK」データベースより)
1 少年が憧れたクルマ、青年が楽しんだクルマーヒルマン・ミンクス(一九五二)
2 青春をともに駆け抜けた、忘れえぬ二台の日本車ートヨペット・コロナ(一九六三)、ニッサン・ブルーバード(一九六七)
3 黄色いコンパクトカーは、ドイツから幸運を運んできたーフォルクスワーゲン・ゴルフ(一九七五)
4 極上の時間に、私が思い知らされたことーベントリィ・コーニッシュ・コンヴァーティブル(一九八〇)
5 私の生き方は、ジャグァーが決めたージャグァーXJ12(シリーズ3)(一九八五)、ジャグァーXK8コンヴァーティブル(一九九八)
6 私が同時に恋してしまった、二台のスポーツカーーアストン・マーティンDB6(一九六七)、マセラーティ・ミストラル(一九七〇)
7 最高の瞬間、生と死を感じる瞬間ーフェラーリ365GT/42+2(一九七四)、フェラーリ328GTS(一九八七)
8 アンダー・ステアと訣別したその時、私はこいつと一体となったーポルシェ911カレラ・カブリオレ(一九八六)
9 クルマとは何か?彼女はそれを問いかけてきたーシトローエン2CV(不明)
10 その志に敬意を表して。私のこころの「終のクルマ」-トヨタ・クラウン
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
徳大寺有恒(トクダイジアリツネ)
1939年生まれ。成城大学経済学部卒。1964年第2回日本グランプリでトヨタワークスのレーシングドライバーとして活動後、自動車評論家に転身。1976年出版のベストセラー『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)で脚光を浴び、現在まで続く同シリーズは日本の自動車ジャーナリズムに決定的な影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【2013年9月発行/2014.1.3読了】
【備忘録】
・テクニックとは自分に勝つこと〜(徳大寺氏は)闘争心が欠けていたのでレーサーとしてはダメだった
・ブルーバード1600SSS(510)(1967年)
〜RT40コロナ(トヨタ)には販売面では及ばなかった。
〜当時の(一般の人の)クルマの評価は「丈夫か、丈夫でないか?」
〜(独立懸架のブルーバードに対し)コロナの方が頑丈でデラックス
〜(このBC戦争でのコロナの勝利で)日本メーカーのクルマの基本性能よりも装備重視のクルマ作りへ
・VWゴルフ・ゼネレーションI(1975年)
〜全長3730mm✕全幅1610mm✕全高1410mm(ホイールベース2400mm・直列4気筒SOHC1470cc・70馬力・800kg)
〜(当時のレベルでは)ハンドリングは素晴らしかった。曲がることにかけては当時の日本車など問題にしていなかった
〜ブレーキの効きもよくて、スピードを殺していた
〜燃費も良かった
〜(当時の日本車は)ゴルフにくらべればまったくダメだ
〜ウソのないクルマに出会って初めて、真実が見えた⇒「間違いだらけのクルマ選び」シリーズの原点
・「最新のポルシェが最良のポルシェ」といえるのは911シリーズのみ(原型が変わらない)
・シンプルなシトロエン2CVに対して、手のこんだDS(同時期に対照的なクルマをラインナップできるシトロエンはすごい)
・クラウンは日本で乗るのに限れば最良のクルマ(物語性を持てるかが名車になるためのカギ)
・クルマとは共に泣き、共に笑ってきた人生のパートナー以上の存在
・たった1台でもかけがいのないクルマを見つけられれば、人生は変わる
【ご参考】
・本の紹介・ 駆け抜けてきた 我が人生と14台のクルマたち(みんカラ・クルマ楽しんでますか。)
・ミラクル ミラクル ルルルルル〜♪ポルシェと読書等の記録
・Amazon書評
・読書メーター
なお、阪神の宜野座キャンプの件の詳細は現地に行っているじんさんのエントリーやこちらを、
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また、湘南ベルマーレのトルコキャンプの件などベルマーレ関連情報はこちらをご覧ください。
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