なので、その後は室内練習場で新井兄弟らにつっこんでいたようです。
自分がたまたま見たのは、良太に指導しているところとでしたが…
、そのあたりの詳細は中継を見ていたおくにとらぷーさん、かれいどさん、たけさんのエントリーやこちらをご覧下さい。
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(Ser.6751・2945日連続更新)
そのアニキの最新本の紹介を。
「人生賭けて〜苦しみの後には必ず成長があった〜/金本知憲 (著) 」
アニキの本の中では、
←これは読みましたが、
←これは読んでません。
【ご参考:どらぶろぐ】
今般上梓した「人生賭けて」では、「第3章 伝説」で2009年までのことは書いてありますが、それ以外のところは2010年以降の選手生活晩年のことが中心でしたね。
その時点では言えなかったけど、今なら言える。
そういうことが満載です。
それはさておき、娘さんの話はたくさん出てくるのに、嫁さんの話が全然出てこないのはなんで?
ともあれ、一度日本一を達成して欲しかったなあ。
もし達成したら、その時点で引退したかもしれませんが…
金本知憲「人生賭けて〜苦しみの後には必ず成長があった〜」(小学館)
アニキが語る21年間のプロ野球人生!
1992年、広陵高~東北福祉大を経て広島東洋カープにドラフト4位で入団した金本知憲は、野球人としては体の線が細く野球選手としては非力であった。しかし己の肉体を鍛え上げ、フルイニング出場1492試合という世界記録を樹立するような偉大なホームランバッターへと変貌を遂げる。単に記録だけではなく、骨折していたにも関わらず試合に出場し右手一本でヒットを放つなどの勝負強さを兼ね備え、記憶に残る打者でもあった。野球ファンからは親しみを込めて「アニキ」と呼ばれ、多くの人々に愛された。2010年3月、右肩棘状筋断裂という大ケガを負いながら、復活のために血の滲むようなリハビリを続けた。本書は、今まで語られることの無かったケガからの復帰や、引退を決意するに至った過程を詳細に追っている。また彼に近い清原和博氏や赤星憲広氏などの証言から、アニキの人物像を立体的に浮き彫りにしている。
【編集担当からのおすすめ情報】
数々の偉大なプロ野球記録を打ち立てた、真の4番打者・金本知憲。多くの野球関係者が、あれほど練習熱心な野球選手は見たことが無いと驚くほど、真摯に野球に取り組んだアニキが、引退試合で述べた言葉は「若い時に、もっとバットを振っていたら…」という意外な一言でした。これほどの選手でも、まだ野球人生で練習が不足していたと感じることに、思わず驚愕してしまいました。本書は、そんな彼の人柄や、考え方を読者の皆様にダイレクトにお伝えいたします。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
21年間のプロ野球人生を、鉄人・金本知憲がどのように生きたか。野球に人生のすべてを賭けた壮絶な生き様が、今初めて語られる。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 ちょっと変わった野球少年ー誕生から中学時代まで
第2章 不運の始まりー寮ですごした高校時代
第3章 人生最悪の日々-災難続きの浪人生活をへて、大学へ
第4章 苦難のプロ野球生活ードラフト入団からレギュラー獲得まで
第5章 より高い結果を求めてー意識の変化、記録の達成、そして移籍
おわりにーすべての子どもたちにおくるメッセージ
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
金本知憲(カネモトトモアキ)
1968年4月3日、広島県生まれ。180cm、88kg。右投げ、左打ち。広陵高〜東北福祉大、1991年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。2003年FAで阪神タイガースに移籍。前人未到の1492試合連続フルイニング出場の世界記録保持者。2012年10月9日、引退(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【2012年12月発売/2013.2.9読了】
【備忘録】
序章 引退
・引退を決めたとき、現役選手は「まだやってくださいよ」という反応がほとんどだった
・どんでんは引き際だと思っていたのだろう
・野球は仕事。なので、トレーニングは不可欠。仕事だと思えばこそ辛いことやしんどいことも我慢できた
・好きなことだったら、嫌になったらやめればいいだけの話
第1章 絶望(2010年シーズン)
・自分がケガでないと思えば、それはケガではない
・自ら止めた連続フルイニング出場(チームのみんなに迷惑をかけないで済むという安堵感)
→【生観戦】4/18 横浜4対8○阪神5回戦〜アニキがスタメン外れた(゜o゜;)《当日速報版》
→【生観戦記・続報】4/18 横浜4対8○阪神5回戦〜アニキがスタメン外れた(゜o゜;)ので連続試合フルイニング出場記録は1492試合で確定
>高宮、この試合で代打アニキと対戦していたのか…【結果は二ゴロ】
・自分の代わりにスタメンレフトに入った選手は葛城も桜井も林もイマイチだった。ならば金本をスタメンで使えというのが首脳陣の判断だったのだろう
・2010年のシーズンは野球をやるのが嫌で嫌で仕方なかった
・前例がなければ自分が前例になればいいと手術はしなかった
・赤星憲広の証言「カネさんは僕のライバルでした」
〜連続フルイニング出場記録を止めるのは監督の仕事
第2章 希望(2011年シーズン)
・たいぶ、打てるようになったシーズン当初
・連続試合出場記録にもこだわりはなかったので、俊介がサインミスで盗塁死した結果途切れることになっても、かえってさっぱりした。
・でも、二死で代打が出たら基本的にスチールしてはいけないし、サインミスは一番やってはいけないミス
・6月頃には引退も考えた
・矢野燿大の証言「僕はいい打撃をして、いいリードして勝てた時は満足して、シャワーを浴びてすぐ帰る。でも、カネは調子が良いときこそバットを振って帰る。これは自分とは違う域の人間やなって思った」
第3章 伝説
・広商入学予定が広陵へ
・広陵では2年間下積みでやってきたのに、最上級生になったら新コーチの考えで「3年が一番嫌なことをやれ」に(>_<)
・しかも、中井さんには法政のセレクションの時期を間違って伝えられたし(´д`)
・広島へはみっともない姿を地元の仲間に晒したくない気持ちで本当は行きたくなかった。
・大学卒業時に本当に行きたかったのは(左打者の少なかった)ヤクルトか(外野のレギュラーが固定されていなかった)中日。阪神は暗黒時代で興味すらなかった
・自分の人生で3度辛かった時期が。広陵高校時代、浪人時代、カープの1年目
・球団を強くしていこうという気持ちがフロントに伝わらなかったことでFA宣言
(FA宣言して、年棒はダウンしてもいいから1000万円くらいでいいので再契約金を払ってもらって複数年で残留という形がよかったが…)
・阪神入団時に背番号5を希望したのに(それはノリのために取っておくといくことで)実際は6。6も藤田平、和田豊がつけていた番号だからいいのだが…
・2003年はチームのためにに徹した優勝、2005年は最高の個人記録で2度目の優勝
・素直で向上心のある鳥谷敬。ただ最初は一生懸命さが伝わらなかった
・現実の新井貴浩は体は強くはないし、筋力も特別強いわけではない。それに加えて気持ちもかなり弱い。人間的にはいいヤツなんだが…もっと真剣に練習せえよ
・マスコミは自分の発言を適当に切り取って、自分の意図しない方向へセンセーショナルでいい加減な記事を書くから一時期確執があった
・決して我慢強くはない
第4章 勝負(2012年)
・拡大するストライクゾーンに大苦戦(統一球よりこの影響が大きい)
・あこがれの野球人・清原和博さん
「カネの一番のすごさは、いろいろあるけど、やっぱり連続試合フルイニング出場だと思う。王さんやはりもとさんとかホームランやヒットをたくさん打つ人よりも、すごいと個人的に思ってしまう」
終章 人生
・育成という点ではカープはヤクルトは練習量が半端ではないし、多少難があっても起用していくうちにいい選手に育てていく。
・阪神は、小さくまとめ特徴のない万能型の選手に仕上げてしまうケースが多い。左投手には目が効くのだが(江夏・湯舟・仲田・井川・能見・岩田ら)
・苦しい時ほど自分は成長しているんだ。そう思って前向きに生きていくことが大事。
【参考書評】
・りが・みりてぃあ野球殿堂
・学問日記 at 慶應義塾大学通信課程
・池田昇平(sho-hey)ブログ
・【書考空間】(評者:丸善 丸の内本店 和書2F売場長 片田 英伸)
なお、「「センターポジション争奪!Jリーグマスコット総選挙」は
←キングベルI世に投票よろしくお願いします。
【投票はこちらで】→ http://t.co/7K5YAsiA
2月13日(水)18:00まで
タグ:金本知憲