

というか、フットサルの日本代表候補とわね!
【JFA公式HPから「フットサル日本代表候補 トレーニングキャンプ メンバー(9/24〜26@愛知)」】
<スタッフ>
監督:ミゲル・ロドリゴ ミゲル ロドリゴ Miguel RODRIGO
フィジカルコーチ:村岡 誠 ムラオカ マコト MURAOKA Makoto
コーチ兼通訳:在原 正明 アリハラ マサアキ ARIHARA Masaaki
コーチ兼通訳:小森 隆弘 コモリ タカヒロ KOMORI Takahiro
<選 手>
(GK)
川原 永光 カワハラ ヒサミツ KAWAHARA Hisamitsu 1978.11.24 178cm85kg 名古屋オーシャンズ
冨金原 徹 フキンバラ トオル FUKIMBARA Toru 1982.10.18 180cm74kg デウソン神戸←画像はベルマーレ在籍時のもの
藤原 潤 フジワラ ジュン FUJIWARA Jun 1982.11.23 180cm80kg バルドラール浦安
(FP)
※三浦 知良 ミウラ カズヨシ MIURA Kazuyoshi 1967.02.26 177cm72kg 横浜FC
※森岡 薫 モリオカ カオル MORIOKA Kaoru 1979.04.07 175cm77kg 名古屋オーシャンズ
木暮 賢一郎 コグレ ケンイチロウ KOGURE Kenichiro 1979.11.11 175cm65kg 名古屋オーシャンズ
小宮山 友祐 コミヤマ ユウスケ KOMIYAMA Yusuke 1979.12.22 172cm75kg バルドラール浦安
村上 哲哉 ムラカミ テツヤ MURAKAMI Tetsuya 1981.09.24 174cm67kg シュライカー大阪
高橋 健介 タカハシ ケンスケ TAKAHASHI Kensuke 1982.05.08 173cm66kg バルドラール浦安
北原 亘 キタハラ ワタル KITAHARA Wataru 1982.08.02 179cm73kg 名古屋オーシャンズ
稲葉 洸太郎 イナバ コウタロウ INABA Kotaro 1982.12.22 169cm64kg バルドラール浦安
小曽戸 允哉 オソド ノブヤ OSODO Nobuya 1983.06.28 170cm67kg バサジィ大分
星 翔太 ホシ ショウタ HOSHI Shota 1985.11.17 176cm77kg バルドラール浦安
滝田 学 タキタ マナブ TAKITA Manabu 1986.07.26 178cm77kg ペスカドーラ町田
仁部屋 和弘 ニブヤ カズヒロ NIBUYA Kazuhiro 1987.12.13 175cm70kg バサジィ大分
逸見 勝利 ラファエル ヘンミ カツトシ ラファエル HENMI Katsutoshi Rafael 1992.07.30168cm70kg 名古屋オーシャンズ
【注】※=フットサル日本代表(候補)初選出
さらに詳しいことはこちらもご覧いただくとして、
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今回も書評シリーズ。かってサッカー界を揺るがした?この件忘れてませんか?
![争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール [単行本(ソフトカバー)] / 木村 元彦 (著); 集英社インターナショナル (刊) 争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール [単行本(ソフトカバー)] / 木村 元彦 (著); 集英社インターナショナル (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51i8rvSo2KL._SL160_.jpg)

我那覇和樹(がなは・かずき)
【画像はヴィッセル神戸在籍時】
1980年、沖縄県生まれ。小学生の頃に宇栄原FCでサッカーを始め、小禄中学、宜野湾高校を経て、99年、川崎フロンターレに入団。2000年5月13日の名古屋グランパス戦でJ1初ゴールをあげる。その年の優秀新人賞を獲得。2006年シーズンは J1で18得点で得点ランキング3位。イビツァ・オシム監督の日本代表に選出される。07年に体調不良によりドクターから施された点滴治療が「ドーピング」とされ処分を受ける。これに対してスポーツ仲裁裁判所(CAS)に処分取り消しを申し立て、2008年5月27日、全面勝訴。2009年、ヴィッセル神戸に移籍。その後2011年よりJFLのFC琉球に移籍。
まずは、ヴィッセル神戸時代に1年だけ一緒にプレーしていた湘南ベルマーレの馬場賢治選手もこの本を読んで、感想をブログにUPしてます。⇒・沖縄の英雄
それにしても、組織がメンツにこだわるとろくなことがない…
この件に関しては、管理人自身いままでなんかドーピング疑惑があったね?という位の認識しかなかったんですが、事実をきちんと知っていくと、NPBだけでなくJリーグも中枢部はあかんやん。
ナベツネ独裁と川淵独裁どっちがいいですか?>それを五十歩百歩というwww
木村元彦「争うは本意ならねど」(集英社インターナショナル)
サッカーを裏切ることは、絶対にしていない!
ドーピングの罪を着せられたJリーグの我那覇選手とドクター。──巨大組織の圧力に立ち上がり、自らの冤罪を晴らした我那覇和樹選手と、組織の枠を越えて彼を支えた人々の、友情と勇気の物語。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
一通の手紙が、我那覇のもとに届いた…。彼は、なぜ立ち上がったのか?冤罪事件の真実が、いま明かされる。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 誤報
第2章 異議
第3章 論争
第4章 遠い道
第5章 我那覇への手紙
第6章 美らゴール
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
木村元彦(キムラユキヒコ)
ジャーナリスト、ノンフィクションライター。愛知県生まれ。『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』(集英社刊)で、第16回ミズノスポーツライター賞を受賞。2011年日本民間放送連盟賞テレビ報道部門東京地区審査員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【2011.12発行/2012.6.29読了】
【備忘録】
第1章 誤報
・後に判明するが、記事を書いた記者は、クラブに常駐する番記者がこの日非番だったため、代わりに派遣された人物⇒にんにく注射と誤報
・静脈注射が禁止される理由
1.禁止薬物を注入した血液から禁止薬物がドーピング検査で検出されないように大量の点滴で陽性反応を薄める操作を防止するため
2.無理な減量のあとに大量の点滴液で体力を無理に戻そうとすると死亡することがあるため
・TUE(治療目的使用に係る除外措置)
(1)治療上使わざるをえない
(2)他に代替治療がない
(3)使用した結果、競技力を向上させない
(4)それを使用する理由が以前に禁止されていた薬物を使用したことの結果として生じたものではない
第2章 異議
・選手に不測の事態が起きた場合、治療が遅れれば取り返しのつかないことになる〜ゆえに、全Jチームのチームドクターが全員異議に同意
・我那覇の件で他のチームドクターが点滴治療に躊躇するようになった
・たった1日練習を休んだだけで自分の運命は変わってしまう。選手はそれが分かっているからギリギリのところまで無理をする。だから、練習ができなくなってからの治療では遅い
あとがき
・この間違った前例が残ると今後すべてのスポーツ選手が適切な点滴治療を受ける際に常にドーピング違反にあとでとわれるかもしれないからという恐怖にさらされる
・Jリーグはこの問題に正面から向き合おうとせずに、その度に詭弁を膨らまし逃げ続けた



