1月に急逝した日本ハムの小林繁投手コーチの追悼セレモニーもあったこともあってか、いわたまりんこさん【ブログ観戦記】、タムタムさんはじめ観衆21,470人と平日のオープン戦としては結構な入りだったようで…
結果は聞かんといて(爆)
少なくとも、城島がマスクをかぶっている間は1−0で勝っていたわけで、お約束の福原炎上【例の歌の歌詞を書きたいところJASRACに著作権料取られるというので省略】も城島と組んだらどうなるかもう1回投げる機会があるんでしょうね。
ということで、TwitterのTLしか情報源がなかったのでさらに詳しいことはこちらで
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見てもらうとして、今回の本題はこちらの本
日本にいるとアフガニスタンの事情はわかりにくいのですが、著者のように、日本に留学・日本人と結婚・医師として就職・帰化された方に、自身の経験を通して、アフガニスタンの歴史・現状、自分の支援活動などを書いていただけるとよく理解できます。
激しい貧富の格差とか、隣国に避難した難民が多くの砂漠地帯の緑化を進めたこと。
一方、米国やヨーロッパに行った人たちはその地で安定した生活を営むようになって、かえって帰国して祖国に貢献することは期待できないこと。
さらに、国に帰っても受け入れ態勢がないので、再度国内難民になってしまうなどの件。
とか、
”心と心を結び合わせる「糸と針」”の話は必読箇所ですね。
レシャード・カレッド「知ってほしいアフガニスタン 戦禍はなぜ止まらないか」(高文研)
ますます混迷を深めるアフガン情勢。なぜアフガニスタンは世界から攻撃を受ける国になったのか?たくさんの草花や樹木が生い茂り、多くの鳥が生息する大地には無数の地雷が埋まる。「知ってほしいアフガンのことを」日本在住歴40年のレシャード医師は願う。日本で医師として生きることを決め、地域医療や介護医療に尽力しながら、祖国の医療・教育面からの支援を続ける。アフガンの苦難の歴史と「現在」を語りつつ、真の復興への道を提言する!
第1章 日本で医師として生きる
(大家族;校長先生の思い出 ほか)
第2章 アフガニスタンが歩んだ道
(前近代のアフガニスタン;近代国家への道 ほか)
第3章 「カレーズ友の会」八年間の歩み
(「カレーズ友の会」の立ち上げ(02年4月);現地で診療所がオープン(02年7月) ほか)
第4章 アフガニスタン人は何を望んでいるか
(三〇年間うちつづく戦禍;なぜ好転した状況が再び悪化したのか ほか)
【著者紹介】
カレッド・レシャード
1950年、アフガニスタンのカンダハールに生まれる。1969年4月来日。千葉大学留学生部を経て、72年京都大学医学部に編入、76年9月卒業。同大学胸部疾患研究所研究員をかわきりに関西電力病院、天理よろず病院、島田市民病院などで勤務医を歴任。87年、日本に帰化。89年から2年間、イエメン共和国結核対策プロジェクトチームリーダーとして赴任。93年、静岡県島田市でレシャード医院を開設、院長。その後、介護老人保健施設アポロン、社会福祉法人島田福祉の杜、特別養護老人ホームあすかを設立、理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
<2010.2.9読了>
【参考書評】
・この本に使われてる写真を撮った山水さん
・netoさん:新世界読書放浪
・わけいさん:To Be Freedom@読書三昧
・毎日jp/森谷正規・評
生きるのに必死なアフガニスタンの状況を鑑みるに、福ちゃんもこの本を読んで、もっと必死でやって欲しいとの願いを込めて…
それと、岡田監督(not どんでん)も今回タイトルに付け加えようと思ったんですが、ロスタイムに本田がゴールして2−0で勝ったので免除します(爆)
こちらの試合は後半から見てましたが、1−0のままで勝ってもブーイングだなあと思っていたところ、本田さまさまですね…
というか、バーレーンの方は森本の方にマークがいっていたところ、華麗?にスルーされたんで、本田がうまく隙をついたともいえるわけで、そのあたりの詳細はこちらで
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