


管理人は川崎市中原区生まれなので、フロンターレのJ1優勝を希望してレッズの方を応援してたんですが、車内で昨日の試合の速報版ブログエントリーを書いている間に鹿島が先制。上野で特急を降りて山手線に乗り換え、引き続きワンセグで見てたんですが、巣鴨?あたりで試合終了。
フロンターレ残念ムネリンと思ったんですが、ベルマーレのJ1復帰が今日の神奈川新聞一面に
湘南が逆転勝ちで11季ぶりのJ1復帰(カナロコ)
サッカーのJリーグ2部(J2)は5日、ケーズデンキスタジアム水戸ほかで今季最終戦を行い、前節まで3位の湘南ベルマーレは3―2で水戸ホーリーホックに逆転勝ちし、29勝11分け11敗で3位を確保、来年の11季ぶりとなる1部(J1)復帰を決めた。
湘南は前半立て続けに2点を失う苦しい展開。しかし30分にFW田原豊選手、34分にはFW阿部吉朗選手が決めて前半のうちに同点に。そして後半8分、阿部選手が決勝点を挙げた。
湘南は1968年に藤和不動産サッカー部として創部。94年に「ベルマーレ平塚」としてJリーグに昇格し、同年は第2ステージ2位になるなど、攻撃的なサッカーで“湘南の暴れん坊”と親しまれ、日本代表でも活躍した中田英寿、岩本輝雄、呂比須ワグナー、小島伸幸らの選手も所属した。だが99年にJ2への降格が決まり、「湘南ベルマーレ」へと組織改編して湘南地域7市3町をホームタウンとする市民クラブとして再出発した。J2で10年目の今季は、アルビレックス新潟をJ1に上げ、北京五輪日本代表の指揮を執った反町康治監督(45)が就任。昨季5位のチームをシーズンを通して昇格争いするチームに変えた。
なので、あらためまして、鹿島アントラーズJ1優勝おめでとうございます。
で、その神奈川新聞一面にベルマーレJ1復帰の件が載っていたのを知ったのは他のベルサポブログからで、管理人は実物を見ていないのでこれから近くのコンビニで買ってきます。
なので、取り急ぎここまで書いて一旦UPします。
ここから追記。
↓
【証拠品入手】

日刊スポーツ:湘南0−2から逆転11年ぶりJ1/J2
<J2:湘南3−2水戸>◇最終節◇5日◇Ksスタ
湘南が、11年ぶりのJ1復帰を果たした。勝てば昇格条件の3位以内が決まる水戸戦で劇的な逆転勝ち。2点を先行されながらも前半30分にFW田原豊(27)が追撃ゴールを決め、同34分と後半8分にFW阿部吉朗(29)が連続得点した。00年にJ2降格して以来、10年のブランクは史上最長。続投が決定的となった反町康治監督(45)の下で来季、「湘南の暴れん坊」が復活する。甲府は熊本に勝ったが、勝ち点1差で4位に終わった。
反町監督が4度、宙に舞った。「達成」文字入りのTシャツで、選手たちが抱き合った。10年の悲願だけに、生みの苦しみを味わった。前半20、21分に連続失点。しかし、ここから強い精神力を発揮した。前半に2点返すと、後半8分に阿部が頭で勝ち越しゴール。そこには、今季ロスタイムに10得点した「あきらめない湘南」の姿があった。
甘えを排除した反町監督の勝利だった。就任当初から「選手が倒れても『大丈夫か?』と声を掛けさせなかった」。倒れた選手を無視して、練習を続けた。真剣勝負の積み重ねが、逆境をはね返す力になった。阿部は「監督に恩返しがしたくて(練習でやってきた)すべてをピッチに置いてこようと思った」と話した。
Jリーグに昇格した94年に天皇杯優勝。98年W杯フランス大会にはMF中田英らを日韓代表4人を輩出するなど、攻撃サッカーで人気チームになった。だが、99年に親会社のフジタが撤退し、翌00年にJ2降格。経営難に苦しみ、チーム消滅の危機もあった。真壁潔社長は「我々は夢や希望を売る商売。『身の丈経営』を言い訳にしてはいけない」。やれることは何でもやった。10年間、夢をあきらめることはなかった。
反町監督との契約は今季いっぱいだが、延長のオファーは出ている。交渉はこれからだが、同監督も前向き。チームと町があきらめなかった夢を1年でかなえた指揮官は「(J1の)胃液が出そうな生活を送るかと思うと…うれしいような悲しいような」と、来季をにらんで話した。【山田大介】
[2009年12月6日10時0分 紙面から]
スポニチ:反町イズムで3発逆転!湘南11年ぶりJ1
J2第51節の5日、9試合が各地で行われ、湘南が11年ぶりのJ1復帰を決めた。今季から前U―23日本代表監督の反町康治監督(45)が指揮を執り、勝ち点差1で4位の甲府と最終節まで昇格を争っていたが、水戸を3―2の逆転で破り3位で滑り込んだ。既に来季のJ1復帰を決めていた仙台が愛媛と1―1で引き分け、勝ち点106で初優勝した。【J2試合結果 J2順位表】
試合終了後、反町監督は選手の手で4度宙を舞った。「選手が喜ぶ顔を見て私もうれしいと思った。来季はもっとチームが強くなるように精進したい」。全51試合の最後に決めた11年ぶりのJ1昇格。指揮官は感慨深げに長い1年を振り返った。
自力で昇格を決めるには勝利が絶対条件だった。しかしチームトップの14得点のFW中村が風邪でダウンしメンバーから外れた。さらに前半20分、21分と立て続けに失点し0―2とリードを許す苦しい展開。熊本とホームの小瀬で対戦している甲府が2―0とリードしている情報もベンチに届いていた。第三者が見れば戦況は圧倒的に不利な状況だった。
だが、指揮官の胸中は違っていた。「2―0と0―2で駄目だと思った人もいると思う。でも、今年は本腰を入れて精神力を鍛えたから」。その言葉通り1年をかけて説いた反町イズムは着実に選手に浸透していた。キーワードは闘争心。選手には練習中も厳しさを求め、接触プレーで倒れても止めるようなことはしなかった。シーズン開幕前は様子をうかがうような態度だった選手も第1クール終了後には「監督の言う通りやれば結果を出せる」と信じ始めた。
チームの顔だった日本代表MF中田英寿が98年にイタリアへ移籍後低迷が始まった。翌99年にはJ2に降格し親会社フジタが撤退した。市民クラブとなって10年。来春も1億円の増資を予定するなどチームを取り巻く環境は依然厳しい。クラブの経営を安定させるためにはJ1定着が不可欠だ。「昇格の功労者といっても(選手を)特別扱いはしない。競争して勝ち抜いていく環境をつくりたい」。指揮官の目は既に先へと向けられていた。 [2009年12月06日]
なお、サンスポ、報知、デイリー、トウチュウは扱いが小さいという情報を事前に得ていたため購入してません。
それと、神奈川新聞のスポーツ面







というように、フロンターレが優勝を逃したので、ベルマーレの方が大きく扱われてます。
また、管理人が見たTV番組は、試合当日の夜の



(鹿島アントラーズJ1リーグ優勝が中心、最後の方で報道)
翌朝は、

(7時台のスポーツコーナー、最後の方でスチル画像のみ)

(「御意見番スポーツ」のコーナーで、大沢親分が平塚は湘南じゃないという突っ込みと中西哲生さんの「(昇格に)あっぱれ」)
日曜夜の

(一番最初に湘南J1昇格の件)
でしたが、他はいかがだったでしょうか?
【おまけというか、前回のエントリーの疑問に回答】






【試合の基本データや画像・動画の追加を含め次回エントリーに続く】