
とうとうこうなりましたか・・・Jeff Come Back!
ウィリアムスが退団=プロ野球・阪神(時事通信)
阪神は6日、ジェフ・ウィリアムス投手(37)の退団を発表した。オーストラリア出身の同投手は2003年に阪神入りし、05年は75試合に登板するなど、救援陣「JFK」の一人として、2度のリーグ優勝に貢献した。
来日7年目の今季は左肩痛などで31試合の登板に終わり、1勝1敗、防御率3.58。8月に渡米して左肩を手術した。
沼沢正二球団本部長は「リハビリに相当の時間がかかり、来季の戦力としては厳しい。彼のおかげで優勝できた。非常に感謝している」と話した。
また、家族の生活環境などを理由に米国でのプレーを希望していたスコット・アッチソン投手(33)との契約更新を断念。アーロム・バルディリス内野手(26)、ケビン・メンチ外野手(31)とも来季の契約を結ばないと発表した。
アッチソンが抜けるのは痛いけど、家庭の事情では仕方ありませんね。
バルディリスはどんでんのところかな?ラロッカとフェルナンデスは残留でしたっけ?ならば、カープとか?
ジェフは、2回の優勝に貢献してるし、もう1年待てなかったですかね?日本人の某野手には4年間辛抱したんだし・・・
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ところで、その某野手の背番号を、指名順位のからみで入団交渉が難航している藤川俊介選手に用意しているという件、そこが落とし所ではないでしょうが。球団と本人との関係では、3位の甲斐選手と同等の評価をすればいいんです。むしろ、東邦ガスと近大との関係が悪化しないようにするのが大事。ここで、球団は徹底的に悪者になってもいいんです。
本人は高校の先輩の金本さんもいるし、出場機会もありそうだし、阪神に入りたいと思っているんじゃないでしょうか。
今年のトレンドなのか、他の球団でも指名順位に不満で入団拒否しようという方が複数いらっしゃるようですが、そのからみで今までの下位指名で名球会入りした方2名の本とは逆に、今回はその当該球団のひとつに1位指名でも波瀾万丈の人生を送った方の本を紹介します。
愛甲 猛「球界の野良犬」(宝島社)
最低で最高の不良。
暴走族、アンパン、失踪、暴力、野球賭博、筋肉増強剤――
こんな俺にも野球の神様は……微笑んだ
80 年ドラフト1位でロッテから指名され入団し、中日移籍後は代打の切り札として活躍した往年の名選手・愛甲猛。その愛甲氏が、甲子園優勝からプロ野球入団、そして現役引退後の生活を赤裸々に綴ります。甲子園時代の喫煙・補導にはじまり、プロ入り後の薬物汚染、悪友たちとのトラブル、そして失踪……。表と裏を渡り歩いた波乱万丈の野球人生がここにはあります。
<目次>
はじめに
プロローグ 〜歓喜、そして……
第1章 原風景
(複雑な家庭環境/貧乏生活/野球少年…ほか)
第2章 甲子園
(横浜高校入学/恐怖の神様「3年生」/初登板試合…ほか)
第3章 悪ガキ
(人生が変わった夏/“ヨタ校”の勉学/部員への暴力…ほか)
第4章 開眼
(プロの練習/散々だったルーキーイヤー/大打者との出会い…ほか)
第5章 激闘「パ・リーグ」
(「ホームラン、いらないだろう」/忘れられない10・19/タイトル争いの「助け合い」…ほか)
第6章 迷走
(トレード話/オフの恒例行事/一度だけのハッパ…ほか)
第7章 野球の神様
(中日ドラゴンズ/外様のベテラン/代打転向…ほか)
第8章 愛甲猛
(ドーピングの後遺症/失踪騒動/嫌われた男…ほか)
おわりに
【2009.9.14読了】
この本に書かれていることの多くは、既に球界の噂になっていたことなんですが、当事者本人から本にして語られると現実味を増しますね。
・貧乏な生い立ち、
・シンナーに手を出した中学時代、
・横浜高校時代のしごき、
・高2の最終試合での同級生川戸のうれし涙、優勝後のソープ初体験、
・契約金4800万円のうち手元の残ったのは3500万円(自分の手元には500万円・しかし翌年に市県民税をたんまり取られた)、
・考えて投げるタイプは一軍より二軍の方でかえって打たれる>小宮山
・入団当時のプロ野球界の番長は張本さん
・落合さんにバッターの方が稼げるといわれて打者転向を決意
・落合さんの女性の好みは「玄人」、夫婦喧嘩の仲裁も頼まれた
・村田兆治さんはワンマン、投球だけでなく麻雀でも
・清原は言葉にウソがなく純粋。敵ながら応援できた
・1988.10.19自分は近鉄ナインの気持ちが痛いほど理解できたが、有藤監督はじめ他の選手は仰木監督の「痛かったら代われば」の発言に絶対勝たすなという気持ちになっていた。>有藤監督の抗議もその一環
・タイトル争いの助け合い
・カネヤンと園川の相性の悪さ
・自軍の監督を退場にしてくれとキャッチャーに言わせたのはカネヤンだけだろう
・勝手に有藤・西村派、落合・愛甲派にされた。落合さんや自分は徒党を組むのが嫌いなだけなのに
・監督に進言できないコーチなんていらない
・故高畠コーチの独特のコーチングが印象深い(個人に合った練習法、自主性重視)
・川崎球場ラストイヤー(1991年)に、「(初芝の夢は)観客動員100万人達成」
・観客98人、カップルが行為に及んでいた、流しソーメン、麻雀、柔道の乱取り、客の打ち上げ花火すべて川崎球場の実話
・横浜高校の試合の方がよっぽど入ってた
・地元の商店街にタダ券配っても、競輪場の方が人が入ったし、スタンドから競輪を見ていた客もいた
・1988.10.19以降は川崎市も設備を改善してくれたが、結局千葉移転でケンカ別れ
・ユニのズボンにラインが入っていてピッチャーが目標をつけやすい>小宮山の指摘
・情報が外部に漏れすぎなのは、今でも変わってない
・パ・リーグ記録の535試合連続フルイニング出場は、阿波野からのデッドボールの影響でストップ
・巨人の二軍選手の方が、ロッテの一軍選手よりイベントでのギャラが高かった
・一度だけのマリファナ体験
・昔は乱闘はあたりまえ、デッドボール指令も
・平成初期までパはスパイ野球が花盛り(南海の野村さんが最初)
・ファーストだったので、相手チームの選手と話す機会が多かった。
・その過程で外人選手相手の英語もある程度できるようになった
で、試合後一緒に飲みに行ったりもした
・アメリカでの成績をハナにかける外人選手は総じて結果を出せない
・打撃投手や裏方も巨人の待遇は格段に良かった
・選手の本音はチームの勝利より、自分の成績>特に万年Bクラス球団の選手
・伊良部とは個人的に親しかった。境遇が似ていたからだろう。研究熱心であると同時に、激しい気性
・広岡GMとの確執(長嶋コンプレックスで人気者が嫌い)
・GMに取り入った選手が重用されたりしてたし、ボビーもその頃は一軍選手の人事権もなかった。
・おかげでオフに戦力外に。
・代わりに選手会長になった初芝が、GMと選手との間で板挟みになって成績不振に
・ボビーの自分が連れてきた選手へのひいきも醜かった
・日替わりオーダーは選手の士気にいい影響を与えないと今でも思っている
・ロッテをクビになったあと、江本さんから野村監督に口を利いてもらってヤクルトに決まりかけたが、当時中日のコーチになった高畠さんから誘われ中日へ。
・星野さんのような裏表のない単純明快な指導者の方が合っていた
・中日1年目は慣れない外野もやらされ成績は良くなかった
・2年目からは代打専門、その後試合中盤でブルペン入りをして、リリーフ投手の速球に打席に入って目慣らしをしてみたが、当時の岩瀬はノーコンで怖かったので、打席には立っていない。
・野球とばくで手心を加えて欲しいと頼まれたこともあるが、さすがにそこまではできなかった
・宮本和知ラストゲームとなるはずの試合でガルベスが途中までノーヒットノーラン、代打愛甲が阻止し、宮本のラスト登板がかなった。
・現役終盤、禁断のドーピングに手を出し、5年経ってから副作用の方が強く出てきた。
・1999年プロ入り初のリーグ優勝体験
・その翌年、ドーピングによる副作用でもはや現役続行不可能に
・引退後球界関係者で会ったのは阪神監督解任後のノムさんだけ
それにしても、壮絶な人生だ。
もうこんな野球選手は出ないでしょうね。
中田 翔だってここまではならんと思うし・・・
愛甲 猛 (あいこう たけし) プロフィール
1962 年、神奈川県に生まれる。横浜高校のエースとして80年夏の全国高校野球選手権大会優勝。同年秋、ドラフト1位でロッテ入団。3年間の投手生活の後、落合博満に鍛えられ打者に転向。96年に中日移籍、代打の切り札として活躍する。00年に引退。オールスター出場2回、ゴールデングラブ賞1回獲得。535試合連続フルイニング出場はパ・リーグ記録。現在は野球教室を通じて、未来のプロ野球選手育成に努めている。
ホームページ:「愛甲猛 球界の野良犬・俺流野球道」
http://aikoh-batting.com
もし、清田さんがこの本を読んで
「ロッテ1位指名の方でもこうなら、ますますプロでやっていく自信がなくなった。一生NTTにお世話になります。」
という決断をしたとしたら・・・
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つ:
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/caf71816822a9ae2092941f9ad4d9418
藤川に「某野手」の背番号というのはいくらなんでも・・・・。VIP待遇が過ぎるのでは?「現監督」の番号だったわけでもあるんですし。だいたい、それに見合う素材とはとても思えんのですが・・・。
ところで、「某野手」はどうなるのでしょう。近頃、話題にも出ませんが。合同トライアウトでは合格するはずもないですし、このまま、さようなら〜でしょうかね。
コメントありがとうございます。
7番は桜井に譲って、藤川俊介には51番でいいと思います。
9番もあくかもしれませんが、それは大和に。。。
>「某野手」
こちらは、本田泰人さんと違って三行半を突きつけられることもないかと思うので(以下自主規制