初回は無死一、二塁で鳥谷に打たせてゲッツーorz
7回も無死一、二塁となって、新井さんに打たせてゲッツーになるのが怖かったんでしょうね。
和田監督自身は現役時代の1988年に2番ショートに抜擢されて、その年当時のシーズン記録となる56犠打を記録した選手(翌年もリーグ最多の40犠打)。ゆえに、いざとなったらバントを多用してくるのは当然の流れだとは思うんですが、(成功率や新井さん本人のプライドを鑑みるに)バントをさせるのなら代打関本の方がいいし、たとえバントが成功して、次の桧山さんのセンター前ヒットが決勝打となって阪神が勝ったとしても、(今の状況を鑑みるに)次に繋がらないような気がしますが、そのあたりの他の方々の見解とかこの試合そのものの詳細に関しては、マートン登録抹消の件も含め、現地にいたじんさんのエントリーやこちらをご覧いただくとして、
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この試合で決勝タイムリーを打った田中浩康が、その前の試合では右手に違和感を覚えて途中交代だったのに一晩で治った?それとも、かえってムダな力が抜けて良かった?のかはさておき、和田監督的には
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の中で「第7章 自由にやらせてもらってます 次代を担う2番打者−田中浩康と本多雄一」で「こだわりのない2番打者−田中浩康」って独立した項目で取り上げられているのに、自分自身のことは「第2章 目立ちたがり屋でなけりゃ 「バントの神様」と言われて−川相昌弘」に同時代に当時のシーズン記録を作った2番打者として紹介されているにすぎないのに不満なのかもしれませんね。
しかも、青木宣親が去ってからは続きを読む
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